2103あびこガイドブック日本語版
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ハケの道手賀沼公生涯学習センターアビスタ根戸船戸緑地アビシルベ旧武者小路実篤邸跡我孫子駅我孫子駅入口「ハケ」とは、崖地形、あるいは丘陵・山地の片岸を指す地形名です。緑一丁目(南口)我孫子駅三樹荘跡杉村楚人冠記念館■歩 我孫子駅10分(750m)p6参照嘉納治五郎別荘跡■歩 我孫子駅10分(750m)p1参照我孫子に文人たちが集まった大正時代、三樹荘と椎(シイ)の実の降る天神坂を彼らはこよなく愛したという。■歩 我孫子駅11分(900m)天神坂白樺派や民藝運動とも深くかかわったイギリス人陶芸家。■所 我孫子市我孫子新田34■歩 我孫子駅14分(1.0km)バーナード・リーチ碑白樺派のキーパーソン、柳宗悦の住居跡。三樹荘の名前の由来は、“智・財・寿”を表すと地元で信奉されていた三本の椎(シイ)の古木。宗悦は、民藝運動を興した思想家、美学者、宗教哲学者。嘉納治五郎の甥。(非公開)■所 我孫子市緑1-9■歩 我孫子駅10分(700m)三樹荘跡武者小路実篤は雑誌『白樺』創刊の中心人物の一人。大正5年志賀直哉が購入した手賀沼を見下ろす場所に移り住んだ。(非公開)■所 我孫子市船戸2-21■歩 我孫子駅17分(1.4km)旧武者小路実篤邸跡物語の生まれるまち大正時代、白樺派の柳宗悦が、志賀直哉が、武者小路実篤が暮らした我孫子。彼らは多くの作品を我孫子で創作しました。時にはハケの道を歩いて、またある時は手賀沼に舟を漕いで集まり、これからの夢を語り合いました。今でも我孫子には、彼らの夢を育んだ景色が数多く残されています。彼らの足跡をたどりながら、大正ロマンの面影をさがしてみませんか。むね よし む しゃ こう じ さね あつ昔、文人たちが歩いた道…。2

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